古町通5番町商店街 CINQUE

五番町今昔物語〜老舗の視点でひもとく、商店街の歴史〜 4/5

20161122_0127

「古町」の歴史は文字通り古く、およそ200年前の江戸時代からその名はあったと言われています。特に五番町では創業100年を超える店舗がいくつも存在。新しいお店とともに、商店街の中で営みを続けています。今回は、老舗3店舗による座談会。時代の移り変わりの中を歩んできた古町の歴史を振り返ってみました。今回はその4回目。

■参加メンバー

竹ノ内 智光(竹長糸店)

長谷川 尚英(長谷久商店)

池 一樹(はり糸)

 

 

第4回 古町五番町には映画館があった

 

—昔の古町の様子について教えてください。

 

長谷久

昔と今を比べてみると、私の中学生時代はひとつの学年が9クラスありました。5年ほど上の団塊世代に至っては、20クラス近くあったと思います。それほど古町地区の住民が多かったということです。ましてや2世帯家族はざらにありました。大きな商店街が他になく、古町にとっては良き時代でしたね。時代の流れとともに、住まいが店舗から離れ、周辺住民も郊外へ移るという人口のドーナツ化現象が起こったのが、そのまま商店街が活気を失った経緯だと思います。

 

竹長

古町音頭という歌でも歌われていたように、古町は毎日お祭りじゃないかというような人通りの多さでした。春から秋までは、金魚すくいやたい焼きといった夜店もずらりと並んでいました。あとは「カフェ」というお店があって、女性が横についてくれて、お酒のお酌をしてくれたり、おしゃべりの相手をしてくれました。夏に「火の用心」と言いながらまわっていると、お店の女の子たちが外に出て涼んでいるんです。すると、私に「たーさん、帰りにお店に寄ってよ」と言うんです。懐かしいですねえ。そして何と言っても松竹館(映画館)の存在が大きかった。映画が10時に終わると、たくさんの人が町に出てくるので、商店街は当時10時過ぎまでやっていました。商店とカフェと松竹館が連携プレーをしていましたね。

 

20161122_0134

 

はり糸

その松竹館も古町が誘致したんですよね。すごいことですよね。

 

竹長

「もっとお客さんに来てもらうにはどうすればいいか」と話し合い、当時は映画の全盛期だったので誘致することになりました。場所はちょうど今のi-MEDIAさんのところですね。各商店が出資してね。私の父なんかは大して出資してないんだけど、はり糸さんはだいぶ出したんですかね。

 

はり糸

いえいえ(笑)。

 

20161122_0129

 

竹長

私たちは招待券をもらっていてね。それを使うとすぐに入館できる。しかも、一階の2等席じゃなくて、二階の1等席に通してもらえました。そこは履き物を脱いであがるところで、冬の寒い時には小さな火鉢を出してくれる。それで温まりながら映画を観ました。当時はまだ無声映画ですから、スクリーンの前にオーケストラボックスがあって、楽師さんたちが出てきて音楽を鳴らすんです。そして映画が始まると、弁士がスクリーンに合わせてセリフを語る。男性の声、女性の声、お年寄りの声、子どもの声をすべて一人でやっていましたね。そういう昔のことなら、私はよく覚えてますよ(笑)。「君の名は」なんて、最近同じ題名の映画がありましたけど、それが上映された時なんてすごい行列ができていましたね。

 

はり糸

建物のまわりを3周するくらいの大盛況だったらしいですね。

 

竹長

とにかく人が来たんだ。他の商店街の人からね、「古町はいいねえ。じっとしていたってあれだけお客さんが来るんだから」と言われました。昭和25年だったかな。新潟日報が、古町1番町から13番町までのお店の売上ベストテンを発表したことがあります。その中になんと、驚くなかれ、古町五番町のお店が5軒入ったの。

 

はり糸

それは初めて聞いたな。

 

竹長

だからいかに五番町に力のあるお店が揃っていたかということです。そういうのを子どもの頃から見てきました。企画も色々やったんですわ。各町内で独自のアイデアを出してやっていましたね。お客さまも「おもしろいね」と喜んでくれた。五番町は「古町銀座会」、六番町は「六栄会」、七番町は「七福会」とそれぞれ名前をつけてね、競い合ったの。これがまたすごかった。ちょうど月旅行や人工衛星に世間が注目していた時にね、「宇宙旅行に招待」という企画をやろうとなった。「月賞」「太陽賞」「火星賞」などと決めてね、福引きじゃなくてポイント制にした。たくさん買い物をしてくれた人に、たくさん良いものが当たるようにしたんです。テレビだとか、洗濯機だとか。それも全部、五番町のお店から提供してもらって景品にしたんですよ。そして、忘れてならないのが「新潟大火」です。五番町も半分くらい焼けてしまいました。後片付けだなんだで、みんな気落ちしてしまって、これじゃだめだということで始めたのが「新潟カーニバル」と名付けた復興祭。何をやったかというと、仮装パレードをやったんです。私たちは歌舞伎の仮装をやったりしましたね。それで商店街みんなが仲良しになりました。商店街の絆は大事だと思いましたよ。

 

20161122_0125

 

 

前(3/5)はコチラ 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5 続き(5/5)はコチラ

Top